黒柳徹子の年収や家系図まとめ!トットちゃんは実話?生い立ちも

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黒柳徹子の年収や家系図まとめ!トットちゃんは実話?生い立ちも

2026年7月現在、92歳という年齢ながら現役タレントとしてテレビ番組に出演している黒柳徹子さん。トットちゃんの愛称で知られ、2017年にはドラマ「トットちゃん」がテレビ朝日で放送されました。今回この記事では、黒柳徹子さん」の年収や家系図、ドラマやアニメ化した書籍「トットちゃん」について解説していきます。

目次

黒柳徹子の年収について調査

1953年に芸能デビューし、芸歴73年の大ベテランとして現在も活躍しています。黒柳徹子さんの年収は公表されていないため正確な金額は不明ですが、2~3億円と推測されています。ここでは黒柳徹子の収入源について紹介します。

収入源

数億円の収入を得ている黒柳徹子の収入源について紹介します。

テレビ出演料

黒柳徹子の収入の多くは、自身が持つ番組「徹子の部屋」を中心としたテレビ番組の出演料です。

徹子の部屋は番組開始から50周年を突破した長寿番組。司会として出演を続けていることから多くの収入を得ていることが予想されています。

印税

黒柳徹子は書籍の執筆と出版もしています。25作品以上出版している中でも人気なのが「窓ぎわのトットちゃん」です。この作品は1981年に講談社から出版された総発行部数2500万部を超える大ヒット作品。最も発行部数の多い自叙伝としてギネス世界記録に認定されています。ドラマやアニメ化もしており、そのたびに作者の黒柳徹子にも使用料や印税が入っていると言われています。

YouTubeの広告収入

黒柳徹子は2021年に「徹子の気まぐれTV」というYouTubeチャンネルを開設。普段は見せないリラックスした一面や、ユニークなトークが人気でチャンネル登録者数40万人を突破しています。

YouTubeチャンネルでは、黒柳徹子が「初めてのチェーン店での爆食」や「渋谷で洋服を爆買い」など様々な企画動画を投稿。92歳という年齢ながら若々しい動画を投稿しており、世代を問わず多くの人が視聴しています。

出典:徹子の気まぐれTV

黒柳徹子の家系図をまとめ

黒柳徹子の両親や兄妹など家系について紹介していきます。

父親:黒柳守綱

黒柳徹子の父親は黒柳守綱(くろやなぎもりつな)です。NHK交響楽団でコンサートマスターを務めたことがあるヴァイオリニストで、交響楽団の中でも首席の腕前だったことから戦争による出征も後の方だったそうです。敗戦時はシベリアの捕虜となり、尋問によって帰国に時間が掛かったことが判明しています。

母親:黒柳朝

黒柳徹子の母親は黒柳朝(くろやなぎちょう)です。日本の随筆家で「チョッちゃん」の愛称で知られています。

長女である黒柳徹子が「窓ぎわのトットちゃん」でベストセラーになったことで、自伝エッセイ「チョッちゃんが行くわよ」を出版。ベストセラーとなりNHK連続テレビ小説でもドラマ化しています。

弟:黒柳紀明

黒柳徹子には、7歳年下の弟・黒柳紀明(くろやなぎのりあき)がいます。父親と同じくヴァイオリン奏者として活動し1971年にNHK交響楽団に入団しています。2000年にNHK交響楽団を退団した後は宇宿允人率いるフロイデフィルハーモニーで第二ヴァイオリンのトップを務めていました。

妹:黒柳眞理

黒柳徹子には11歳年下の妹・黒柳眞理(くろやなぎまり)がいます。日本のプロバレリーナとして活躍していたが、19歳の時に足首をねんざしたことで退団。母のすすめで美容学校に通い、美容師免許を取得しています。

20歳で結婚し、2人の子供に恵まれたが39歳の頃に離婚。その後は美容師やエッセイニスト、テレビ番組のコメンテーターとして活躍しています。

伯父:田口修治

黒柳徹子の伯父には日本の映画監督として活躍している田口修治(たぐちしゅうじ)がいます。

1948年10月にシュウ・タグチ・プロダクション株式会社を設立し、ドキュメンタリー映画を中心に自主製作していました。1953年以降はアメリカのPRライブラリー用映画の製作を請け負い、ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の日米合作映画「アナタハン」の監督補佐を務めていました。

1956年3月、電通との共同製作で「新三菱の全貌」の製作準備中だったが狭心症によって亡くなっています。

トットちゃんは実話?

黒柳徹子が出版しベストセラーとなった「窓ぎわのトットちゃん」。実話なのか気になる人もいるのではないでしょうか。結論から言うと、この作品の内容は黒柳徹子の幼少期の実話です。主人公のトットちゃんは黒柳徹子本人を指しており、幼少期の頃に舌足らずで名前の徹子を上手く発音できず「トット」と呼んでいたそうです。

物語は黒柳徹子が尋常小学校へ入学した頃から青森へ疎開するまでの期間に起きた出来事が書かれています。主な舞台は自由が丘に存在したトモエ学園で、登場するクラスメイトは全て実名です。

黒柳徹子の経歴を紹介

トットちゃんでも描かれた黒柳徹子の気になる生い立ちから経歴を紹介していきます。

生い立ち

ヴァイオリニストの父親とエッセイストの母親の子として1933年8月9日に東京都で生まれた黒柳徹子。両親は男児が生まれると思い込み「徹」という名前を考えていたが、女児が生まれたため子を付けて「徹子」と名付けられます。

尋常小学校に入学したが問題児だったことから1年生の頃に退学。トモエ学園に転校しています。

1945年3月の太平洋戦争末期の頃、東京大空襲をきっかけに青森県へ疎開。終戦後の1946年に東京へ戻り香蘭女学校中等科・高等科、東洋音楽専門学校声楽科を卒業します。

NHK放送劇団に入団

音楽学校卒業後、黒柳徹子は自身がオペラ歌手に向いていないことから「子供に絵本の読み聞かせを上手にできる母親」を目指し、新聞に載っていたNHK放送劇団の俳優募集の広告に応募。筆記試験会場を間違えて遅刻や消しゴムで答案用紙を汚損するなど様々なトラブルを起こすが約6000人の中から13名の劇団員に選ばれます。

女優デビュー

テレビ放送を翌月に控えた1953年1月よりNHK放送劇団の一員となり、テレビ女優の第1号として女優デビューを果たします。

1954年にNHKラジオ第1で放送されたラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」で初のドラマ主演を務めます。黒柳徹子は三男・トン坊役を演じて有名になっていきます。

その後も様々な作品に出演し、週6~7本のレギュラー番組を抱えて多忙を極めます。

NHKを退社

1961年、舞台出身の俳優と自分に演技力の差を感じたことから杉村春子に相談し文学座附属演劇研究所の3期生として入団。NHK以外の民放局やCMにも出演するようになり、しばらくしてNHKを退社します。その後は森光子に誘われて吉田名保美事務所に所属します。

マルチタレントとして活躍

NHK退社後の1971年から演技などを学ぶために1年間ニューヨークへ留学。1972年9月に帰国し「徹子の部屋」の前身番組となる「13時ショー」の司会に就任します。

徹子の部屋は1976年に放送を開始。その後は「ザ・ベストテン」や「世界ふしぎ発見!」など様々な番組に出演し、マルチタレントとして活躍していきます。

まとめ

今回は、タレント黒柳徹子の年収や家系図、書籍「トットちゃん」などについて解説しました。

黒柳徹子の年収は公表していないため正確な金額は不明ですが、年収2~3億円と推測されています。

黒柳徹子が執筆しドラマやアニメ化もしている作品「トットちゃん」。物語は黒柳徹子が幼少期に過ごした際の実話です。興味のある方は、この機会にドラマやアニメの「トットちゃん」を視聴してみてはいかがでしょうか。

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