インドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人で、日本のタレントとして活動しているデヴィ夫人。テレビ番組などで見かけて知っている人も多いのではないでしょうか。今回この記事では、多くの人が気になるデヴィ夫人の年収や本名、若い頃について解説していきます。
デヴィ夫人の年収はいくら?
2026年9月現在で86歳という年齢ながらタレントとして様々な番組に出演し、お茶の間を楽しませているデヴィ夫人。年収については公表していないため正確な金額は不明ですが、推定4億円以上と言われています。ここでは、デヴィ夫人の年収となる内訳の収入について紹介していきます。
テレビ番組出演
デヴィ夫人は、1970年代頃から芸能活動を開始しており芸歴50年以上の大御所として扱われています。そのため、テレビ番組1回の出演料が300万円以上と言われているようです。週1回テレビに出演していた場合、年間で1億4000万円以上になります。
2026年9月現在でレギュラーとして出演している番組はありませんが、バラエティ番組「世界の果てまでイッテQ」では準レギュラーとして出演。その他にも様々な番組にゲストとして出演しています。
書籍の印税
デヴィ夫人は2026年9月現在まで写真集やエッセイ本などの書籍を10冊以上出版しています。中でも2019年に講談社から出版した「選ばれる女におなりなさいデヴィ夫人の婚活論」は発行部数11万部を超えるヒット作となっています。
書籍の印税による収入額については不明ですが、出版している書籍が多いことから数千万円以上の金額が入っているのではないかと推測されています。
オンラインサロン
デヴィ夫人は、2020年よりオンラインサロン「サロン・ド・ラトナ」を開設。デヴィ夫人による情報発信だけでなく、華道・茶道・書道・ダンスなど、デヴィ夫人が直接指導するワークショップを定期的に開催しています。
また、オンラインサロンで動物愛護や人道支援の活動も積極的に行っており、社会貢献活動に連動しています。
オンラインサロンには、月額1000円から50000円以上の複数コースを用意。2022年の報道では会員数300人以上と言われており、恐らく年間で数百万円から数千万円の収入が入っているでしょう。
YouTubeチャンネル
デヴィ夫人は、2019年7月10日より自身のYouTubeチャンネル「デヴィ夫人- Lady. Dewi Channel」を開設。2026年9月時点でチャンネル登録者数は28万人を超えています。
投稿している動画も数十万から数百万以上の再生回数となっているため、年間で300万円以上の収入を得ていると言われています。
デヴィ夫人の本名や年齢を調査
テレビ番組などの影響で多くの人は「デヴィ夫人」の愛称で認知していますが、インドネシア名と日本名2つの本名があります。結論から言うと、デヴィ夫人の本名はインドネシア名で「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」、日本名では「根本七保子」です。テレビなどで一部を抜粋し「デヴィ・スカルノ」と表現することもあります。
デヴィ夫人の生年月日は1940年2月6日生まれです。2026年9月時点でデヴィ夫人の年齢は86歳になります。高齢ながらもバラエティ番組に出演して体を張っている姿を見て驚いている人も多いのではないでしょうか。
デヴィ夫人の若い頃から現在までの経歴
デヴィ夫人の若い頃が気になる人に向けて、若い頃から現在までの経歴について紹介します。
生い立ち
1940年2月6日、東京府東京市麻布区霞町(現在:東京都港区西麻布)にて、大工の棟梁を務める父親の根本兵七郎と母親の政子の間に生まれます。弟が1人おり、太平洋戦争中は母親と弟の3人で浪江に疎開していたそうです。
エキストラ女優や高級クラブで働く
デヴィ夫人が15歳の頃、映画「青ヶ島の子供たち 女教師の記録」にてエキストラとして出演。中学校を卒業した後、高校へ進学すると同時に150倍の難関を突破して千代田生命保険に入社します。当時は貧しいなかで家計を少しでも維持するために昼休みや休日にアルバイトを掛け持ちしていたそうです。
1956年、父親が亡くなったことで高校を中退し、赤坂にある高級クラブ「コパカバーナ」で働きます。
インドネシアへ
1959年9月、デヴィ夫人が19歳の頃にインドネシアへの開発援助に伴い東日貿易の秘書という名目でスカルノ大統領の元に送り込まれます。この件には政治家の大野伴睦や河野一郎、昭和のフィクサーと呼ばれた児玉誉士夫が関わっていたと言われています。
当時、インドネシアは独立後間もなく東西冷戦下の状況で、スカルノ大統領は日本外交や資金援助の取り付けなどを重要視していました。スカルノ大統領は、デヴィ夫人を愛人の1人としていたが1962年に正式に結婚。4人の夫人のうち第3夫人になります。
スカルノ大統領失脚
1965年9月30日にいわゆる「9月30日事件」と呼ばれる軍事クーデターが発生。スカルノ大統領は失脚し、軟禁状態に置かれます。デヴィ夫人はインドネシアにある日本大使館へ亡命を希望したが、国際的理由で断念。その後、スカルノ大統領の第2夫人を除いて全員大統領のもとを離れて逃げ切ります。
1967年3月11日にデヴィ夫人は都内の病院でスカルノ大統領の8番目の子供となる娘のカリナを出産。その後フランスに亡命します。
1970年にスカルノ元大統領は死亡。インドネシア政府の方針により第3夫人として遺産分与が行われます。
日本で芸能活動を開始
1970年代より、世界的セレブの1人として日本でタレントとして活動を開始。1974年には芸能情報誌「GORO」にてヌード写真を披露し話題になりました。
1980年にインドネシアに戻り石油関連事業を興したが失敗。1991年にアメリカのニューヨークに移住したが、その後日本に帰国しています。
政治団体の設立
2025年2月12日、デヴィ夫人は動物愛護を掲げる政治団体「12(ワンニャン)平和党」を設立。自らの出馬に向けてインドネシア国籍から日本国籍へ帰化申請を行います。
しかし、同党の選挙対策委員長を務めていた藤川晋之助が亡くなったことや、デヴィ夫人自身が暴行容疑で書類送検されたこと、帰化申請が難航していることを理由に4月20日付けで解散したことをSNSで発表します。
2025年5月27日、政策アドバイザーの立場で元放送作家の藤村晃子が「日本12(ワンニャン)党」を結成したが、デヴィ夫人は関与していません。
まとめ
今回は、デヴィ夫人の年収や本名、若い頃から現在までの経歴について解説しました。
デヴィ夫人の年収については公表していないため不明ですが、年収4億円以上と推測されています。テレビ番組の出演料が主な収入源になっているようです。
デヴィ夫人の本名は、日本名で「根本七保子」、インドネシア名で「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ」です。年齢は現在86歳になります。
2025年に起きた暴行事件によってテレビへの露出などが減っているデヴィ夫人。どのような活躍を見せるのか今後の活動に注目です。
